• 内科医師からスタートし、現在は三代続いている漢方専門のクリニックを銀座で開業中。女性系疾患(月経関連、更年期、 不妊症など)、アトピー性皮膚炎などから、ちょこっと体の弱い人までお見えになります。趣味はマラソン(基本的にはインドアでテレビ派)、猫(アメショ)、週に1回の外食。マラソンはsix stars finisher(東京、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨーク)日本人では338人目位の達成!!

シックススター(Six Star Finisher)

ランニングブームに乗っかってか、週末になると各地でマラソン大会(距離は様々ですが)が開催されています。道路が横断できなくて困った経験がある方も多いと思います。自分も昔はそういう一人でした。各地のマラソン大会は、日本だけのことではなくそのまま世界中でも同様で、アメリカからヨーロッパ諸国、または中国でも盛んに開催されています。もちろん各大会が同じ規模やレベルで開催されている訳ではなく、歴史や規模などにより厳密に格付けされています。その中でも最高峰に位置するのが、シックスメジャーレースと呼ばれる6大レースになります。年間の開催順に東京、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークです。そしてこれを全て完走した人は6大レース完走者(シックススターフィニッシャー、Six Star Finisher)として、WALL(HALL) OF FAME(栄誉の殿堂)ボードに名前が記載されてそれが各メジャーレースと共に世界中を回ることになります。

ボストンでのWALL OF FAMEです。何故か今回は会場の端っこでした。
ボストンでのWALL OF FAMEです。何故か今回は会場の端っこでした。

シックス集めるにはボストンを完走する必要があります

2013年にシカゴを走り、それが人生初のメジャーレースでした。東京は以前はメジャーレースではなく、2014年からメジャーに格上げされたため、2014年の東京が2回目のメジャーでした。その後も順調に同年秋のニューヨーク、2015年のベルリンで4つまで星が集まっていました。しかしその後は出走権が取れずに、またコロナ禍で中止になったり渡航出来る状態でもなく諦めも入りかけていました。しかしニューヨークの友人が紹介状を書いてくれたことで2022年のロンドンの出走権が奇跡的に得られ、今回のボストンも偶然に出走権が入り、何とか無事にシックススター完了となりました。予定ではコロナ前に完了して、世界でも8,000番目位の完了者になる予定でしたが、それでも今回の達成時は1万人少々、日本人に限っては338人程度の人数しかいません。これだけ休日に走っている人達いるのに意外に少ない印象です。

今回ボストンは初めての訪問で、ホテルはマラソンのゴール地点に近いコプレープレイスと言う街の中心街に取りました。他には海に近い場所や、よく映画などで見るダウンタウンや川沿いも選択肢にありましたが、ゴール後に電車乗ったり長い距離歩くのを避けたかったからです。部屋からのMIT工科大学のあるケンブリッジ方面の眺めになります。

ちゃっかりオータニさんも見に行きました!

ボストンマラソンは毎年Patriot Dayと言う愛国者の日、あちらでは祝日に行われます。10年前はゴール付近で爆破テロがあったのを覚えておられる方も多いと思います。ボストンの街は祝日のお祝いや、またボストンマラソンに合わせたイベント、これはマラソンに関係ない人達も楽しめるイベントですが、それらもあって大賑わいでした。しかもそれに合わせた訳ではありませんが、ボストンレッドソックスとエンジェルスの試合の開催も重なっていました。マラソンは4月17日の月曜日、野球は14日から18日までです。17日はマラソンと野球が重なるので、メジャーの試合としては異例の午前開催です。これもボストンマラソンが127回も続いている世界最古のレースだからでしょう。さてボストンまで行って大谷選手が出るのならば見に行く大チャンスです!しかもレッドソックスには吉田選手もいます。大谷選手の投げる日はマラソンと重なるので無理ですが、都合を合わせて金曜のデーゲームを見に行って来ました。

日本以外で野球を見るのは初めての経験でした。フェンウェイパークは1912年に開場したMLBでは一番古い球場です。少し肌寒い日でしたが、その歴史と雰囲気を味わいつつ野球観戦ができました。日本の球場みたいにトランペットや太鼓の騒々しさはなく、とは言えテレビで見るのと違いシーンとしている感じはなく、常にざわざわしていて、何かが起こるとワーッと歓声が起こります。とても新鮮な感じでした!

試合は打ち合いで、嬉しいことに大谷さんも2本ヒットを打ってくれました。大谷と吉田(残念ながら欠場)の初対決のためか、球場にはやたらに日本人が多かったです。但し今回の旅行で日本人に遭遇したのはここだけで、その後は不思議と全く見かけませんでした。次回は頭の隅で明後日のレースの心配をすることなく、雰囲気に首まで浸ってリラックスして見てみたいです。

そしてレース当日

ボストンマラソン当日はかなりの雨で大谷さんが先発した試合も中断していたみたいです。マラソンのスタートはボストンの中心から42キロ離れた場所からだったので、自分が走っている時には豪雨と言う感じではありませんでした。42キロ離れたスタート地点までは基本的には黄色いスクールバスでの移動になります。

このバスが何十台も往復してほぼ全てのランナーをスタート地点に送ってくれます。バスが何十台も連なって、しかもパトカーや警告灯を回した車が車列を先導するので、もう自分が映画の中にでもいる様な感じです。ただ後ろの席で「こんな距離走って戻るのか!?」と話しているのを聞いて、現実に引き戻されました。余談ですが、この黄色いスクールバスにはニューヨークとシカゴで数回もお世話になったのですが、いずれも乗り心地は硬くて厳しかったです。

そして雨の中、レースはスタートしました。いつもは少しでも良い記録を狙って頑張るのですが、ロンドンマラソンの記事(1)(2)でも書いた様に、まだ股関節に不安があったので記録よりも完走狙いです。何がなんでもボストンの完走メダルとシックススターのメダルは持ち帰らないといけません。沿道の人出や声援の凄さやもちろん、1マイル毎の記憶もまだ鮮明にあります。ウェルズリー女子大の前で女の子が500メートルほど列を成して全員が大絶叫していたのは壮観すぎて、その声量の凄さと共に一生忘れられません。残念ながらビデオ撮るのを忘れていました(笑)と言うのも、絶対に時間内に完走することだけに集中していたからです。レースが20キロを超えたあたりが2時間だったので、あとは多少怪我して歩いても6時間は超えないと確信できて、そこでかなり力が抜けました。30キロあたりに有名なハートブレークヒル(心臓破りの坂)があるのですが、もうそこは絶対に歩くと最初から決めていました。そこで股関節を痛めるとゴールできない可能性があるからです。

詳しく書くと、その坂は半分は歩いて半分は走ったのです。と言うのも他にも歩いている連中はいたのですが、なんせ足の長さが違うのでどんどん離されて行ってしまいます。それも面白くなちょっと面白くないので、追いつく程度に小走りして、また追いつく感じです。村上春樹さんは自著の中で、「少なくとも最後まで歩かなかった」と墓碑銘に刻んで欲しいと書いておられましたが、次回はこの坂の連続も歩かずに突撃するつもりです。

残り10キロになると、2013年シカゴから始まった10年に渡るシックススターの旅が終わるのが少し寂しくなってきました。6つのレース合計253キロのうち、243キロを後にして残りたったの10キロです。しかしやがて嬉しくてしょうがなくなり、自然にニヤけてしまいます。市街地に入ると沿道の人がかなり多いのでヘラヘラしていると変な奴だと思われてしまうので、頑張っている感を出しながら無事にゴールしました。

ゴール後はボストンの完走メダルを貰い、さらにシックススターのメダルも貰って記念撮影です。夜はこのメダルを2個首から下げて、街で知らない人どうしが”Congrats!!”とか”Good Job!!”と褒め称え合えます。たまに何年かかったの?とか知らない人と会話が始まったり、レストランではウエイトレスさんがメダル写真撮らせてとか、そいういう事があり街全体が盛り上がる、アメリカのマラソン後のこの雰囲気は大好きです。シックススターを取ると、国内でも地方版や外国では田舎の方では、快挙として新聞に掲載されるみたいです。ネットで調べるとちょこちょこ出てきます。しかし残念ながら千代田区は都会過ぎて何もありません。まぁ新聞沙汰になっても恥ずかしいですが(笑)

最初のマラソンは2009年の東京

2007年に第一回東京マラソンが開催された時には、自分はゴルフクラブを受け取りに車で出かけて、マラソンの交通規制に引っかかっていました。その年の暮れからウォーキングを開始し、勢いで申し込んだ2009年の東京マラソンに当たってしまったのが全ての始まりです。ほぼ歩いて6時間40分少々、足が痛くて辛くて二度と走らないと思ったものです。ただ何者にも変え難いあの達成感を追い求め、2011年に再び東京を走って今度は4時間を切ってゴールしました。2013年に初めてのアメリカでのレース、シカゴマラソンに出て、今までの人生で感じたことのない感動を得ました。その後にニューヨーク、ベルリン、ロンドン、ボストンと続いたのですが、これだけの特別な経験をできて、最後にはSix Star Finisherまで辿り着いて完結出来たたことを誇りに思っています。

上の方の写真にもあるのですが、スクールバスの隣にいたアメリカ人の方は60歳から走り始めて現在70歳、ボストンは2回目とおっしゃっていました。海外のレース(まずは抽選に通って出走権を得ないとダメですが)を完走するには移動やホテルの手配、時差、食事、コロナ感染や風邪を引かない様な体調管理から普段の生活まで細々と気を遣う必要があり、さらには海外レースなど不測の事態の連続でもあります。自分よりも年上の人ですらまだ走ってるし、更にはこの痺れる様な緊張感をもう少し楽しみたい思いがあるので、70歳までとは言いませんがもう少し努力を続けてみようと思います。また休診で皆様にご迷惑をお掛けすると思いますが、どうかご理解下さい。
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