細野漢方診療所 Hosono Kampo Clinic
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4月の野菜

この季節の野菜の筆頭は何といっても「筍」をもって第一にかぞえあげねばなりません。
「筍」は、京都しかも「樫原」ものに限ります。筍の地上から、ヌット出た、しかも大きい黒褐色のものを好むなんていうことは、全く田舎趣味とでも言いたいところで、ただ、健啖家の胃の腑を満足させる程度の喜びでしかありません。真の筍の味は肌白い、水々しい、丁度、美人の肌とでもいいたい、地下に密かに潜んでいたものをおこした直後のものに限ります。だが、こんなにいって、食気をそそることは、全くもって罪悪です。なんとなればこの「筍」こそ、アレルギー性の病気―たとえば喘息、リウマチ、蕁麻疹をおこさせ易いものなのですから。それは、ご存じの筍の皮に白くふいているあのしなものこそ「ヒヨリン」のような作用をするもので、喘息の発作を誘発したり、腸の運動をヤケにはげしくしたりする薬物の純品にも近いものだからなのです。だから養生家はこれを恐れます。私達も「筍は良いものですか」と尋ねられると、つい「良いものではありません」と言ってしまいたくなります。

筍は「ヒヨリン」様物質を多くもっているので、身体に悪いものですが何とした前世の因縁ごとか、私はいたって好きで全く目も鼻もありません。ですからこれまで毎年々々、この季節ともなれば、小指位の出初めものから全く﨟たけて固くなってしまったものまで、どんぶり鉢に一杯もつけさして、悦に入っていたものです。お陰で、その季節は一年中で私の一番不健康な時期で、頭がノボセたり、フケが多かったり、それに腹痛や下痢はつきもので、おまけに、痔さえ起こってきて、心もオチオチとは落ちつけなかったものです。

それだのに、全くもって決死でこの季節を完全に食い過ごしたものでした。今にして思えば、よくも命があったものだと、不思議にさえ思えます。でも知らぬが仏といいますか、知らないでやることは、割に無実に打過ぎられるものです。だが、皆様はこんな馬鹿な真似はなさらない方がよいと思います。食べるなら少々というところでしょう。そして色々のものと一緒に焚き、共にあえるものをよく考えて、こんなにも水々しい身体を冷すものでも、反対に身体を温めるような性質のものと一緒に煮合せるようにすると、その害を少しでも防ぐことができるでしょう。こんな意味で、鯛などと焚き合せて、その味を賞味するのも乙なものですし、或いはまた、筍の”デンガク”といういき方で味噌や豆腐と一緒に煮たきすることも理窟に合ったことです。また、若たけと“わかめ"が合いものとなっているのは“わかめ“がこの筍の毒性を中和するからだと思います。

その他、独活、唐ぢしゃ、ふき、人参、菊菜、はく菜、キャベツ、ねぎ(わけぎ、東京葱、玉葱)莢碗豆、みつ葉、せり、ごぼう、大根、じゅんさい、ぜんまい、ゆり、つまみな等、この四月の当節物ですが、温室物ともなれば、キュウリ、カボチャ、なすび等あって、食膳を賑やかすに充分でしょう。野菜というとすぐにホーレン草とばかりお考になることは一寸おまち下さい。ホーレン草は学問的には葉緑素が多く、ビタミンCも多くて大変な栄養になるかの如く宣伝されていますが、東洋では『本草』という書にホーレン草は血を荒らす、だから余り多量にとっては身体に毒だと教えています。ところが、今の時間では以上二つの事実だけでも他の物に優れているのだからそんな馬鹿なことはあるものかと思い勝ちなのです、が、こんな愚にもつかぬ考えは何の益にもなりません。その理由は、ホーレン草にはこの二つの外にもっともっと多くの未知のものが含まれているからです。だからこれらの二つの有益なものもありますが、それと反対になって有害なものがあるかもしれません。その明らかな証拠があがったというのは、最近流行の青汁療法の常用者によって発見されたことなのです。それは、青葉の汁の中にホーレン草が多量に用いられていると、なぜか却って身体に悪い影響があるらしいのです。理由は、ただこれだけでなく色々ありますがここでは省略します。だから、まあ悪いことはおやめになったが宜しいでしょう。食べても少しは宜しいでしょうがそんなにしなくても、大根の葉でも、柿の葉でも、人参葉でもお用いになれば十分ではありませんか。
一寸忘れました、蓮根などもなかなかよろしい。ビタミンKが非常に多く含まれています。
大根おろしでおろしてから揚げにでもして召上ると、これまた乙な味がいたしますよ。

1954年4月 細野史郎

この記事を書いた医師
細野史郎(1898-1989)

細野 史郎(ほその しろう)(1898-1989)

院長 細野孝郎の祖父
昭和2(1927)年京都帝国大学医学部卒業 昭和3(1928)年細野医院開設(後の医療法人聖光園細野診療所)

長男の小児喘息を治したい一心で漢方治療に取り組み、治療に成功する。以降も熱心に漢方治療に取り組み、京都の他、東京、大阪でも診療にあたる。日本東洋医学会設立に尽力し、昭和27(1952)年日本東洋医学会理事長に就任。多年に亘る東洋医学振興の功績により、昭和56(1981)年文部大臣賞を受賞。

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