細野漢方診療所 Hosono Kampo Clinic
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無害な酒の飲み方と私の考え

酒ずきを上戸といい、きらいな人を下戸と呼ぶ。上戸にとっては、酒は無害のものであるどころか、身も心も陶酔境に運んでくれるパスポートでもある。しかし、下戸では、これと反対に酒は正しく苦の種ともなり、寒け、頭痛をもたらす悪魔でもある。だから、ときに「酒は百薬の長」ともあがめられるが、また時には「この上なき害毒物」と悪口されるものにもなりかねない。では一体、一度摂取された酒はどんな運命をたどり、人の体にどんな動きをするのだろうか。ご存じの通り、酒の主成分はアルコールであるが、あるいは呼気に、あるいは尿に、そして多くの部分が腸管からも吸収されないままに、胃腸を素通りして大便について体外へ運び去られる。かくてそのアルコールの影響は、あたかもゼロとなり、その人から一掃されるかにみえる。ところが酒が一度人体に入ると、決してそれだけではおさまるものではない。飲み下された酒は、その日のうちに、体外へ処理される形とはなるが、それでいて、必ずなお幾許かのアルコール分は体内の隅々からサッパリと除き去られるとは限らない。そして前日に僅かに残された酒の気に、更に次の日の分まで積み重ねられると、それが積もり積もってただではすまない重大な結果を生じるわけとなる。言いかえれば、その人の全身を構成する数兆にも近い多くの細胞の総てを、あたかも奈良漬にしたような境遇たらしめるのである。そうして、この連日の酒の飲用者は生きながらにして、見事は奈良漬と化しているわけなのである。

かく申す私も、少なくとも二十五ヶ年以上も酒に親しみ続けてきたので、かかる奈良漬化していたのも当然のことだと思う。しかも、ここ数年来、私は不思議と体の重々しさを感じるようになった。また、ときには頭が以前に比してスッキリしないような異常感を意識するようにもなった。ことに、肝臓部辺に緊縮性の重圧感を覚えだしたのも、ほんの最近のことである。これらの異和感は、或いは酒の連用が醸しだした一連の酒の障碍にちがいないと思うようにもなった。
その頃から、毎夜の晩酌の量を十分に気をつけることにした。水分を体内に溜滞せしめる傾向の強い日本酒をやめ、利尿性のホップをきかしたビール一瓶に変えてみた。しかし、それでも日常の幾許かの前述の障碍は持続するのを覚えた。そこで私は意を決して、永年愛着し続けた酒を断然止めようとし、遂に去年の二月三日を以ってその禁酒に成功した。その後、苦しい思いの禁酒の日々は続いた。十日すぎ、二十日すぎ、そして一ヶ月が過ぎた。そしてその当初の酒のない淋しさも遂に忘れる、と言うよりは心にのぼらなくなった。
このようにして、禁酒の行に伴ってくる心の苦悶は名状し難いものであったが、それに引きかえ、身体の上に現れたものは、今までに経験しなかったような素晴らしい健康な爽快さであった。とくに頭の方のスッキリ度は素敵だった。そしてペンを走らすのも、書見するのも、物事を考えるのも著しく軽快に行えるようになった。このような状態は、禁酒の六ヶ月間完全に続いた。
私はかように禁酒の一事によって酒の害の有体をハッキリとつきとめることができたが、もっと深く研究を遂げておく義務を医者として感じ、もう一度、固い禁酒から謹酒に戻してみることにした。―笑わないで下さい。これはどうしても酒がやめられない人々のために、適正な酒の飲み方を知るためであるー(気がひけるので一寸)。

この実験の初めのうちは、私の舌にとって酒は到底なじめないまずい液体でしかなかった。歯茎にしみ入り、胃にもひどくしみ込むような感触は印象的だった。そして日本酒なら杯に精々一、二杯でやっとのことだった。ことにビールときては苦くて身振いするほどで、義理にも喜べる味ではなかった。またその吸収速度が早いのか、飲むとすぐにフラッと酔い心地になるのを覚えた。
このようにして、初めの二、三ヶ月間はほんの一週間〜十日間に一、二回程度だった。ところが、師走も中頃過ぎる頃からは、心身の疲れを意識するにつれて、かつての酒を欲求した気持ちがムラムラと起こり始めた。また酒に親しまねばならぬ機会も繁くなってきて、いや応なしに「禁酒」は「謹酒」にかえられていった。それでもはじめは二日連用して一日やめ、三日連用しては二日やめという程度だったが、追々と毎日連用へとピッチを上げていった。もちろん、量的にも日々一合ないしそれを上回るようになった。ことに年末から新年の上旬の間は、酒量は上がる一方だった。そして一月も十日を過ぎる頃には、もはや、かつての酒にひたった自分と同様の異和感を再現することができた。

私はここ二日間、全く禁酒である。それはこの原稿を書く意欲を湧き起こしめるためなのである。
このように、去年の一ヵ年の間に、私は酒の全然ない生活から、数日間に休酒の日をおく謹酒の生活、そして深酒ではないが、一、二合の酒を連用する生活をと試みて、吾人の心身におよぼす影響をたしかに身を以って確認することができた。
そしてこれは、さきに『酒、酒、酒』の題材下で、「酒は確かに健康には益がある。しかしその用いる量がどこまでも問題で、またいわゆる酒積と言って、酒の連用による酒の気の体内蓄積を引き起こす飲み方は如何なものか」と結んでおいた結論への確かな回答である。

以上の話の中には、自ら酒の害を避けつつ飲む秘法も潜んでいる。しかし、特に酒好きでどうしても止められない人々のために、その秘決を摘出しておこう。

 (一)、飲み方 酒は必ず連日用いないこと。少なくとも二〜三日間を禁酒して一日または二日間飲むのがもっとも宜しい。一週間に一回なら全く理想的である。
 (二)、 深酒は禁物である。ほどほどが最もよい。それは微醺を帯びる程度のことである。溜息がでるようになっては駄目だ。溜息は心臓の重荷になったことを意味するのだから。また、水が飲みたくなるようではいけない。それは深酒のしるしである。
 (三)、病気と酒 病の中でも肝臓と腎臓の病には禁物である。動脈硬化症、高血圧では僅かなら害にならない。それも日本酒よりビールの方がまだましだ。胃腸の弱い人には酒の少々は悪くない。

1964年2月 細野史郎

この記事を書いた医師
細野史郎(1898-1989)

細野 史郎(ほその しろう)(1898-1989)

院長 細野孝郎の祖父
昭和2(1927)年京都帝国大学医学部卒業 昭和3(1928)年細野医院開設(後の医療法人聖光園細野診療所)

長男の小児喘息を治したい一心で漢方治療に取り組み、治療に成功する。以降も熱心に漢方治療に取り組み、京都の他、東京、大阪でも診療にあたる。日本東洋医学会設立に尽力し、昭和27(1952)年日本東洋医学会理事長に就任。多年に亘る東洋医学振興の功績により、昭和56(1981)年文部大臣賞を受賞。

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